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掌書文字通訳1 通訳としての掌書

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掌書文字通訳1 通訳としての掌書

掌書文字通訳。
勝手にこう表記しましたが、「手書き文字(手のひら書き文字)」と呼ぶのが一般的でしょうか。
ここで「手書」と書くと手書要約筆記と紛らわしいので、仮に「掌書文字通訳」と。
盲ろう者の情報保障手段の1つで、盲ろう者の手の平に指で大きく文字を書く方法です。
道具も、特別な予備知識も要らないため、広く利用できる手段ではありますが、その手法の特性から複雑な文字の認識は難しく、また情報の授受量にも一定の限界があると言えます。

この掌書文字通訳、既存の盲ろう通訳技術の中で或いは最も難しいのではないだろうか…
と個人的に思っています。
指点字通訳のように、点字を知らないと全く何もできないという性質の難しさではなく、ツールとして、情報保障の目的を適えることが非常に難しい方法だと思われるのです。
考えるたび、これは通訳手段として成り立つんだろうか?という懐疑に引き戻される。
未だはっきりと言えない部分はあります。
作業自体には特殊技能が要らないということもあって、結構ハードルの低い通訳のように見られていますが、個人対個人の会話ならともかく、場の通訳となると技術力は相当必要だろうし、何らかの利用ルールを制定をしていかないと行き詰るのではないかと思ったりしています。

難しさの理由は色々ですが、まずは通訳者側から見た要素。
  ・後戻りできないこと。
  ・利用者認識の確認しにくさ。
  ・使える要素の幅の無さ。
まず思いつくのはこんなところでしょうか。
今のところ、伝達文字数の限界は深刻な問題とは考えません。
理由は以下。
掌書文字通訳の多くは、平仮名または片仮名をメインにした表記で行なわれますが、この場合に可能な情報授受量として、仮名で1分間に80~90文字程度が想定できます。
これは、要約筆記で言うと漢字仮名混じりで60文字程度に相当し、およそOHPでの手書要約筆記の筆記量に匹敵する。
よって文字数だけから言えば、情報保障に足りないとも言えません。
(読取量の個人差は今ここで問題にはしません。ツールとして情報の保障をどこまで可能にするかという観点で考えています)

しかし、量的なものだけでは言えない難しさが掌書にはあります。
一番大きいと思うのは、情報が一過性であるという点。
これは、利用者・通訳者双方にとっての難点です。
通訳情報がすぐに消えるか消えないかということは、情報保障の利用価値において大きく影響します。
消えると言うならば手話や指点字もそうなのですが、それらと掌書通訳との差異は、一度に入る情報量の差と言えるでしょうか。
指点字も授受スピードが遅いケースでは、掌書通訳と同様の難点を抱えることになりますが、ここで各ツールの易読取性が鍵となってきます。


Last Update 2010-06-04 (金) 10:26:39

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