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要約筆記技術10 要約筆記の判断は相対的

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要約筆記技術10 要約筆記の判断は相対的

「みなさん、こんにちは」? という例で、要約筆記における処理とその判断について触れました。
要約筆記上の判断に関して一貫して言えるのは、その背景には常に「時間」という物理制約があるという事。
そして、「筆記」という行為は、時間という制約に直接的な影響を受けるという事。
そのため要約筆記における判断は、常に絶対的ではなく相対的なものになってきます。

よくある要約筆記の説明における問題点の多くは、それらが、情報の内容に関する絶対的価値判断を基準に考えているという点にあります。
「大事な内容を抽出する」「要点を落とさない」「不必要な情報は書かない」
要約筆記では、こういった指導がなされることが多いでしょうか。
それぞれ、違う軸での考え方ですので、一緒に論じるのは乱暴ですが、どれも時間という要素を充分には考慮していないという指摘は出来ます。
もちろん考慮してはいるのです。
そもそも、より確かな情報を限られた時間に収めることを目的に提唱されている理論。
不必要なものを省き重要なものを拾えば、少ない筆記量でも正しい情報を伝えることが出来る、というような考え方と言えるでしょうか。
その目指す方向性に異議を唱えるつもりはありません。

が、論理としては別。
感覚的に伝えるための言葉であるなら何も問題はありませんが、これらを要約筆記の理論とするには問題があります。
これらの理論は、概ね要約筆記の本質と一見矛盾しません。
しかし、話の内容の重要性といった質的にも量的にも流動的な要素を、時間という一律の流れに制限された条件の中に落とし込もうとするのは、根本的に無理がある。
要約筆記の一側面を表白していると言えるかもしれませんが、これをもって要約筆記の本質を説明することは出来ないでしょう。
そもそも「大事」「重要」「不必要」といった言葉の定義を明確にしていない点で、理論上の欠陥があります。
そして仮にこれらの言葉の定義を明確にしようとすれば、更なる問題点が出てくるはずです。

実務上の問題点もあります。
問題点の第1は、これらの理論では、時間当たりの「重要な情報」「要点」の量が筆記可能量を超えた場合の判断基準を与えていないという点です。
このことは同時に、時間当たりの「重要な情報」が筆記可能量を下回った場合の判断基準も与えていないという事をも示しますが、実務上、深刻な問題をもたらす可能性があるのは前者。
これは、要約筆記の「ツールとしての限界」にも関わってきます。


Last Update 2010-06-03 (木) 11:50:07

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