盲ろう者とは目と耳両方に障害のある人のことをいいます。
富山盲ろう者友の会では、盲ろう者とその支援者の交流・支援活動を行っています。

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かけはし18

本文開始

かけはし18

(2019年5月発行)

目次

会長挨拶

九曜 弘次郎 (全盲難聴)

九曜会長

 当会は設立10周年を迎えることができました。ここまで活動できましたのも、ひとえにみなさまのご協力のおかげと深く感謝申し上げます。
 さて、平成の時代が終わりを告げましたが、平成3年に設立された全国盲ろう者協会を皮切りに、全国に盲ろう者団体が設立されたのが平成で、まさに盲ろう者福祉の先駆けとなる時代であったと言えるでしょう。

  そのような平成の時代の終わりを告げるかのように、3月に盲ろう福祉にご尽力された二人の方がお亡くなりになられました。一人は、当会の設立記念大会に京都からお越しいただいた梅木好彦さん、もう一人は、当会10周年記念大会でご講演いただく予定にしておりました、東京の荒美有紀さんです。
 京都の梅木さんからは、こんな話を聞いたことがあります。

梅木好彦さん

 「若い頃に感銘を受けた話です。日本建築には、障子や襖など、とても弱い部分があって、それがあるゆえに、優しい雰囲気と、こころやすらぐ空間が出来るのだそうです。建物にはそうした弱い部分が必要なのだ、という話でした。同じように、人間社会にも、障がい者、高齢者、病気の人たちなど、弱い人がいることで、社会は優しくなれるのだと思います。このような弱い人たちも、本当に大切な一員であるということを分かって欲しいのです」。
 (写真は梅木好彦さん。設立記念大会で、妻の久代さん(盲ろう者)とともに講演されました)

 平成の終わりには、津久井やまゆり園で障がい者殺傷事件が起きました。旧優生保護法下で多くの障がい者に強制不妊手術が行われたことも明るみに出ました。どのような人間も社会の一員として、かけがえのない存在なのだということを、私も強く主張したいと思います。
 先人たちの思いを引き継ぎつつ、弱者も生きやすい優しい社会を作っていきたい。新しく迎える令和の時代がそのような時代であってほしいと願ってやみません。

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「富山県盲ろう者向け通訳・介助員派遣事業実施要綱」が変わりました

 2019年4月1日から、要綱が新しくなりました。大きく変わったのは、派遣事業を利用できる盲ろう者の範囲です。
 これまでは、

  • 視覚障害4級以上、聴覚障害4級以上、
  • 重複による障害の級別が1級又は2級
  • 原則として18歳以上

となっていました。
 改正後は、

  • 視覚障害及び聴覚障害の重複による障害の級別が1級又は2級

となりました。「視覚障害4級以上、聴覚障害4級以上」の条件がなくなり、年齢による制限も廃止されました。
 派遣事業を利用できる盲ろう者の範囲が広がったことになります。

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10年をふりかえって

10年をふりかえって

九曜 弘次郎

 設立準備会も含めて、盲ろう者の活動にかかわり始めてから11年が経ちました。

設立記念大会

 当時、会議に参加する機会が増え、会議の内容が聞き取りにくく、どうしたらいいだろうと思い、全国盲ろう者協会に相談したことがきっかけで、盲ろう者の活動にかかわることになりました。当時は友の会のような団体を作ることなど夢にも考えていませんでした。盲ろう者は県内に自分一人だけだと思っていたからです。ところが、県内にも150人から200人ほどの盲ろう者がいるということ、そして他の盲ろう者のためにも、ぜひ富山県にも盲ろう者友の会を作ってほしいと言われました。
 (写真は、設立記念大会。2009年)

 当時、盲ろう者に関する知識はなにもなく、本を読んだり、ネットで調べたり、メーリング・リストで知り合った盲ろう者の友達から話を聞いたりしながら、少しずつ知識を深めていきました。しかし、本やマスコミで報道されていることは表面的なことであり、実際に内部で活動をしてみると難しい問題に直面することが多くありました。

 まずは、盲ろう者の掘り起こしが非常に難しいことです。これまで県内の市町村の障害福祉を担当する部署を回って盲ろう者の情報を聞いたり、盲ろう者への理解を訴えたりしてきましたが、障害福祉の担当者ですら盲ろう者に関することはなにも知らなかったり、盲ろう者の困難を理解してもらえないなどがありました。
 それから、盲ろう者の家族に理解を求めることも難しく感じました。単身で生活を営んでいる人が多い都会と違って、富山のような地方では、ほとんどの盲ろう者は家族と一緒に暮らしていると思います。家族の支援が得られるのは良いことです。しかし中には、家族とコミュニケーションが取りづらかったり、十分な情報を伝えてもらえなかったりする盲ろう者もいます。本人もそういった生活が当たり前と感じていて、家に閉じこもりがちになる盲ろう者が少なくないのです。そういった盲ろう者が自分の行きたいところに自由に外出して、多くの人とコミュニケーションをして、自分らしい生活を営んでほしいと思っています。
 次に、通訳や移動を介助をする人の育成が非常に難しいことです。養成講習会を受けてくださる方は手話や点字の経験のない方が多く、触手話通訳者や指点字通訳者を育成することが難しい現状があります。私自身、点訳サークルにも働きかけていますが、時間をかけても本を正確に点訳する作業と、話をリアルタイムに通訳をするのとでは、やはり違った側面があります。
 また、通訳者が、仕事や家庭、その他の事情で辞めていくこともあります。通訳・介助業務だけで生活をしていくことは現状困難で、どうしても本業や家庭が優先されてしまう傾向があります。

 それでも、10年前までは県内に盲ろう者のことを知る人はほとんどいなかったことを考えれば、少しずつですが盲ろう者の存在が県内に知られるようになり、友の会に入ってくださる盲ろう者や支援者がいることは、それなりの成果が得られたのではないかと考えています。

 生まれつき目が不自由で、20年ぐらい前、20代から聞こえに不便を感じていましたが、当時の私は聞こえにくいことを認めたくなく、できるだけ隠すようにしていました。補聴器を付けることにも抵抗がありました。先天性の障害ゆえに障害が日常的で当たり前のように感じる気持ち、逆に後天性の障害ゆえに障害を受け入れられない心の葛藤、どちらもよく分かるような気がします。それでも当時に比べれば、聞こえにくいことを受け入れられるようになりました。それは、同じ障害を持つ盲ろう者や、さらには目と耳以外にも障害を併せ持ち、自分より重い障害があるにもかかわらず活躍している盲ろう者の仲間と知り合えたことが大きかったように思います。
 盲ろう者であっても自分らしく生きていけると言えるように、これからも活動していきたいと思います。

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10年をふりかえって

小幡 由起美(盲ろう)
(聞き手:中西 佳子)

中西:今年で富山盲ろう者友の会を設立してから10周年になります。
 
小幡:あっ、もう10周年に?早いね。
 
中西:盲ろう者友の会で、今まで良かったと思うことは何でしょう?

小幡さん

小幡:そうねえ・・・クリスマス会でゲームをしたり、プレゼント交換も良かった。みんなでお話したり、外へ出かけて食事や買い物をした事が楽しかった。でも、今は足が痛くて歩きにくい。行きたいけど残念です。

中西:盲ろう者友の会の活動でやってほしいことは何ですか?

小幡:私、テーブルマナーをやってみたい。お姑さんがいないときでも、色々な料理が出来るようになりたい。レシピを増やしたいです。それから、私が行くスーパーなどの店にみんなと行って、盲ろう者が利用するのに不便なところを確認してもらい、県や市町村の福祉の担当者へ伝えて欲しいです。
(写真は小幡さん、2011年)

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事務局長を務めて

久保 誠人

編集部:友の会設立にかかわるきっかけは何だったのでしょうか?

久保:富山県聴覚障害者センター職員に就く前、東京の戸山サンライズで行われた盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会に参加しました。講習の間に、触手話を使う東京の盲ろう者大勢と酒を飲みあったことがあって、このときの感動を今でも覚えています。みんな絶望感が全くないのが不思議でした。また、積極的に通訳・介助員の育成に取り組んでいました。いつでもすぐに助けてくれる人を増やしたかったのでしょう。

村岡さん

 そのあとセンター職員になりましたが、東京での体験が忘れられず、全国盲ろう者協会職員の村岡美和さんに協力してもらって、友の会を設立する運動を起こしたのです。ひきこもっている盲ろう者を掘り起こして、たくさんの盲ろう者が身近に話し合える場を作ろうと思いました。また、富山県でも通訳・介助員の資格を持つ人を増やして、そのネットワークを築いていこうと思いました。
(写真は全国盲ろう者協会職員の村岡さん。2007年の富山県手話通訳問題研究会の学習会「盲ろう者って知っていますか?」に来ていただきました)

編集部:久保さんは、富山県聴覚障害者協会の福祉対策部長の時から友の会の立ち上げをめざし、友の会では長く事務局長を務めてこられました。たいへんだったことは何ですか?

久保:県と交渉して盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会の開催をお願いしたり、派遣事業を確立したことですね。全国盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会を受けた仲間が協力してくれて、目的を達成できました。恵まれていたと思います。
事務局長を務めて良かったと思うこともありますよ。いろいろな協議に関わったことで、自分を成長させることができました。富山県に限らず、となりの県や遠い県など、各地の盲ろう者友の会とかかわりを持てたことに満足しています。

編集部:盲ろう者支援の課題については、どう考えていますか?

久保:通訳・介助員がもっと増えてほしいですね。ろう者にも、盲ろう者向け通訳・介助員を目指してほしいです。触手話のできる人が、富山県では本当に少ないですから。私は県外で触手話通訳をすることがあります。そのときの盲ろう者の笑顔を見ると、こちらもうれしくなります。
 また、会員になっている盲ろう者の数が少ないことも気になります。盲ろう者の掘り起こしに、もっともっと工夫を凝らさなければいけませんね。

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ある日の市町村訪問より

針山 和雄

 平成27年12月3日(木)午前9時45分、予定より15分遅れて、小幡さん、中西さん、久保さんと針山の4名の友の会会員が小矢部市役所を訪問した。
 社会福祉課課長(民生部次長)さんと係の方のお二人が県障害福祉課からの連絡を受けて待っておられた。係の方は昨年と同じ方で、昨年の訪問時の事はよく覚えておられた。
 「盲ろう者の人数については、よく把握していない。視覚、聴覚両方に手帳を持っておられる方について、県の調査の人数を参考に調べてみたい。手帳を持っていない人についても、目と耳の両方が不自由な方がおられたらPRしたい。手帳を持っていない方でも、補聴器の電池について補助を出すことになった」と話された。
 後日担当の方から盲ろう者数について次の通りFaxがあった。
 「視覚1級・聴覚2級(年齢18~64)1名、視覚3級・聴覚6級(年齢65~)1名;合計2名」。
 午前10時45分に砺波市役所を訪問する。社会福祉課課長と係のお二人が待っておられた。係の方から「小幡さんが一番若い盲ろう者である。他は、65才以上だが、かなり年配の方もおられる。昨年の訪問時にいただいた友の会の情報については、郵送した。今は、災害時のことについて努力している。要支援者登録を民生委員の方と協力して行っており、要支援者のマップ作りをやっている」との事だった。小幡さんからも福祉タクシーを利用して買い物に行っていることなどを話された。この事を話す小幡さんは嬉しそうだった。

南砺市役所訪問

 12時頃、南砺市役所に着いた。障害福祉係長さんと係の方と面談した。
(写真は、南砺市役所を訪問したとき)
 「盲ろう者は30代1人、他は80才以上の人で9名の合計10名である。前の県の調査より6名減っているが、亡くなっているのではないか」との事でした。30代の方は施設に入っている人ではないかと思うが、はっきりしたことは言われなかった。一緒に訪問した小幡さんは、盲ろう通訳・介助員の中西さんと買い物に行った時の体験を話され、「いろんな品物の情報が得られ良かった」との感想を話された。
 南砺市には二人の通訳・介助員がいる事を担当者に話した。誰が介助員か役所の方は知らない。盲ろう者の利用者がいなくても、地域の介助員の存在を伝える必要があるのではと感じた。
 
 他の地域については九曜さんやほかの会員と一緒に訪問した。この年の市町村訪問は4日間で、舟橋村を除く全市町を訪問した。
 役所の方は親切に対応してくれたが、担当者が変わることもある。毎年訪問することで盲ろう者の事を知ってもらい、盲ろう者の発見にもつながるのではないかと思った。 

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強く心に残ったこと

島 道子

 設立当初にかかわらせていただいた縁で、原稿を依頼されました。途中から活動を中断している身として申し訳なく、お詫びの気持ちをこめて、筆をとりました。
 活動を始めて数年後に経験した事で、今も自分の戒めとしている事を紹介します。
 ある全国盲ろう者大会に参加した時の事です。(富山の盲ろう者は参加していませんでした)。会場で盲ろう者(Bさん)の通訳・介助を依頼されました。触手話での通訳で、内容は遊覧船の観光案内でした。私自身、未熟な身でありながら、Bさんと同県の方で、Bさんの通訳・介助の経験のある(Cさん)と二人で担当しました。しばらく交替しながら続けていましたが、私の通訳の時に、Bさんが「Cさんはいつも私の気持ちをきちんと聞かないで決めてしまう。いつものことで、しかたない」と伝えてこられました。確かにCさんが、Bさんの気持ちを先回りしてリードしていると感じる場面もありました。
 日頃のBさんとCさんの状況もわからず、初めて会ったBさんの言葉だけで、安易に憶測し、判断することは避けたいと思いますが、この経験から強く心に残った事は、介助を受ける人がこの様な思いを持たないよう、介助者は相手の気持ちを確認する事に留意しなければならないという事でした。
 現在、別のコミュニケーション支援に携わっていますが、この経験を忘れず、又、先輩の「伝わらないのは、伝え方の工夫と努力が足りない!」という言葉を励みに、日々精進していきたいと思います。 
 この原稿のおかげで、あらためて決意表明ができました(釈迦に説法となった事をお許しください)。

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富山盲ろう者友の会のあゆみ

2008年度(平成20)

5月富山盲ろう者友の会設立準備会(九曜代表)を立ち上げ
9月~11月通訳・介助員養成講習会(全8講座)
11月教育関係団体、福祉団体を回る
2009年4月派遣事業が富山県へ移行(委託先は富山県聴覚障害者協会)

2009年度(平成21)

設立総会
6月第1回設立総会
7月~8月県庁訪問、市町村回り
9月設立記念大会
10月~11月通訳・介助員養成講習会(全10講座)
2010年3月富山盲ろう者友の会会報No.1発行

2010年度(平成22)

6月第2回定期総会、1周年記念祝賀会
7月県庁訪問、市町村回り
10月~11月通訳・介助員養成講習会(全10講座)
2011年4月全国盲ろう者団体連絡協議会に加盟

2011年度(平成23)

6月第3回定期総会
7月市町村回り
7、11、3月ロービジョン相談会にはじめて参加
10月石川盲ろう者友の会との交流会
10月かけはし第1号発行
10月~11月通訳・介助員養成講習会(全12講座)
11月指点字サークル発足

2012年度(平成24),6月,第4回定期総会

7月市町村回り
7月友の会パンフレット作成
9月通訳・介助員養成講習会(全12講座)
2013年2月県庁訪問

2013年度(平成25)

6月第5回定期総会
8月~9月通訳・介助員養成講習会(全12講座)
12月県、富山市訪問
12月東京の盲ろう者との交流会
2014年4月県庁訪問
5月神奈川の盲ろう者との交流会

2014年度(平成26)

6月第6回定期総会、5周年記念大会
7月~8月市町村回り
8月~11月通訳・介助員養成講習会(全22講座)
10月県との交渉

2015年度(平成27)

6月第7回定期総会
7月~8月全国盲ろう者大会(静岡)で、米山さんの全国盲ろう者体験作文入賞が表彰される
8月~11月通訳・介助員養成講習会(全22講座)
12月県庁訪問、市町村回り

2016年度(平成28)

6月第8回定期総会
8月~12月通訳・介助員養成講習会(全22講座)
11月文化の集い(富山県聴覚障害者協会)にはじめて参加
2017年3月県庁訪問
5月触手話サークル発足

2017年度(平成29)

6月第9回定期総会
6月障害フォーラムinとやまに九曜会長がシンポジストとして参加
8月~11月通訳・介助員養成講習会(全22講座)
9月県知事タウンミーティングで九曜会長が発言
2018年3月石川盲ろう者友の会との交流会
4月県庁訪問

2018年度(平成30)

6月第10回定期総会
7月~12月通訳・介助員養成講習会(前期・基礎課程全23講座)

2019年度(平成31・令和元)

4月友の会パンフレット改訂
6月~12月通訳・介助員養成講習会(後期・応用課程全16講座)
6月第11回定期総会、10周年記念大会

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