盲ろう者とは目と耳両方に障害のある人のことをいいます。
富山盲ろう者友の会では、盲ろう者とその支援者の交流・支援活動を行っています。

現在の位置: ホーム > 盲ろう者と通訳技術 > column > 要約筆記実践14 読点は適当に打たない

要約筆記実践14 読点は適当に打たない

本文開始


要約筆記実践14 読点は適当に打たない

手書き要約筆記では、「句点は、きちんと丸(。)に見えるように書きましょう」というようなことが言われます。
単純に、きれいに書いたほうが読みやすいということもありますが、問題の本質はそこではありません。
あるべき句点が無かったり、読点(、)やピリオド(.)と紛らわしい書き方をした場合に、それによって筆記文の文意が違ってきてしまうことがあるのが問題。
実際、句点を抜かしたために見事に違う意味の文章になる例は、初級の講習会ではちょこちょこ起こります。
ただ、全体としてみれば、句点の不備がそこまで深刻に文脈を損なうケースは、そうそうない。
むしろ問題なのは、読点の打ち方。
読点の打ち方如何が文意が変わってくるケースは、句点の場合より遥かに多いでしょう。

1つ例を。
「Aさんのように、難しいからとすぐに諦めずに、努力することは大事だと思います。」
上の文、Aさんはすぐに諦める人なのか、諦めずに努力する人なのか。
更には、Aさんは批判されているのか褒められているのか。
前後の文脈によって判断できる場合もあるでしょうが、この文章を読んだだけでは、意味の特定はできません。
話の語順どおりに書いていった場合に起こりやすいパターンです。
これ、元の話を聞いていても内容が判断できない場合であればいいんです。
どうとも判断できない場合には、下手に意味を特定した書き方はNG。
その場合には、敢えて文意特定ができない書き方をすることも、必要なテクニックです。
しかし多くの場合、聞いている人には判断できる文脈が、要約筆記文では判断できなくなってしまっている。
下手をすると、違う文意になってしまっている。
再三言っていますが、話し手の言葉通りに書いている場合、要約筆記者はその筆記内容に疑問を抱きにくい傾向があります。
パソコン要約筆記の連携入力等では、その傾向は更に顕著。
発声音をそのまま再現すれば正しく伝えたことになる、なんてことは必ずしもありません。
そこを認識できていないPC要約筆記は、通訳というよりタイピングだと思う。
言葉と内容だけを追って音情報の保障という役割を果たさない要約筆記も然り。
タイピングが情報保障の役割を果たさないというわけではないですが。

脱線しました。
上の例文を、読点の打ち方を変えて見てみます。
1.「Aさんのように、難しいからとすぐに諦めずに、努力することは大事だと思います。」
2.「Aさんのように難しいからとすぐに諦めずに、努力することは大事だと思います。」
3.「Aさんのように、難しいからとすぐに諦めずに努力することは大事だと思います。」
どうでしょう。
2では、Aさんは諦めちゃう人。3では、Aさんは諦めずに努力する人。
そういうふうに読みやすくはなると思います。
では、文脈に応じて2か3のように書き分ければOKか。
それは微妙に否。
読点の位置で読ませる手法は、短い文章であれば有効ですが、長い文章や、もっと要素が複雑な文章では適用しにくいでしょう。
そもそも、読点の位置だけが意味を確定するような文章の構成自体、要約筆記の上では考えものです。
要約筆記は、じっくり読み返す性質のものではないので、「読点の位置から解釈すれば正しく文脈を判断できるはず」と言うのは、ちょっと乱暴。

ただ、逆のことは言えます。
つまり、読点による文意の確定は目指さないにしても、少なくとも違う文意に解釈される可能性を軽減するような読点の使い方は、多くの場合で有効だろうということ。
上の例で、Aさんが努力する人だという文脈ならば、「Aさんのように」の後の読点は必須と言っていいでしょう。
3のように書けばOKとは言いきれないまでも、少なくとも2のように書いてはダメだということです。

ともかく、読点は適当に打っちゃいけません。
そして文章に関しては、違うふうに読み取る余地が無いかどうかを常に気にする。
この習慣、結構大事です。


Last Update 2011-05-08 (日) 03:12:48

本文終了

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional