盲ろう者とは目と耳両方に障害のある人のことをいいます。
富山盲ろう者友の会では、盲ろう者とその支援者の交流・支援活動を行っています。

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かけはし28

本文開始

かけはし28

(2022年1月発行)

目次

会長挨拶

九曜 弘次郎(全盲難聴)

九曜会長

あけましておめでとうございます。
昨年もコロナに振り回された1年でしたね。例年開催しているお花見やクリスマス会も中止せざるを得ませんでした。そんななかでもコロナの感染者が減少した合間を縫って活動できました。特に12月に開催した、石川盲ろう者友の会会長の宮永さんをお迎えしての講演会や交流会では、久しぶりに多くの会員が集まりお会いできたことはよかったと思います。今年はコロナが終息して活動できることを願っています。
さて私事ですが、11月7日に開催された富山マラソンのジョギングの部に参加しました。毎年富山テレビでは大会に参加するランナーを紹介していて、昨年はパラリンピックが開催されたので、それに因んで障害のあるランナーを取り上げたいということで取材を受けました。大会の前、大会当日、そして総集編と3回も放映されました。富山マラソンという県民が注目しているイベントだからなのか、たくさんの方から「テレビを見た」と言っていただきました。少しでも盲ろう者のPRに繋がればよいなと思っています。
会員のみなさん、賛助会員のみなさま、今年もご支援をよろしくお願いします。

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触手話を学ぼう

(編集部)

会場の様子

2021年12月18日(土)、石川盲ろう者友の会の宮永 聖明(しょうみょう)会長(73歳)においでいただき、触手話の講演と体験会をお願いしました。富山の友の会には現在、触手話をふだんから使う会員はいませんが、手話を使う弱視会員と支援者は、将来にわたってスムースにコミュニケーションできるよう、触手話を学んでいきたいと考えています。
講演は幼少の頃のエピソードから現在の活動まで多岐に渡りましたが、その中から、手話、触手話、点字との出会いを中心に編集部で内容をまとめたものを掲載します。

石川盲ろう者友の会会長

宮永 聖明

ろう学校と手話

私は石川県能登地方の門前町で生まれました。生まれたときは聞こえていましたが、3歳頃に失聴しました。8歳になってから、ろう学校に入学しました。寄宿舎で生活しました。
小学部の時にはまだ見えていたので、みなさんが手話で会話しているのを見ていました。当時、学校では手話が禁止されていました。先生が黒板に何か文字を書いているとき、机の下で、友達とこっそり手話をやっていたら、チョークが飛んできて怒られたりしました。

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就職と筆談

ろう学校の高等部は理容科に入りました。しかし、卒業後に勤めたのは理髪店ではなく、機械関係の会社でした。会社については新聞などで調べて、ここがいいと思った会社を自分で選んで、ひとりでその会社の受付に行きました。筆談をして、会社を案内していただきました。

講師の宮永さん

ろう学校の先生は「ろう者は会社で話が通じないから大変だよ」とおっしゃいましたが、自分は「もう決めた」と先生に伝えました。先生はびっくりされていました。親戚の人からも「理髪店とか、そういうところへ行ったらどうか」と言われましたが、自分は理容の仕事があまり好きではなかったので、「自分はここへ行きたいんです」と言って、その会社に入りました。
会社での聞こえる方とのコミュニケーションは、やはり筆談です。昼休みも筆談をして会話しました。朝の朝礼のときは、女性の方が筆談で朝礼の話を書いてくださいました。休みの予定なども、教えてくれました。7年間勤めましたが、残念ながらその会社は倒産してしまいました。
その後は、職業訓練校に通ってから、印刷会社に入りました。一生懸命努力をして、苦しいこと、大変なこともありましたけれども、その印刷会社に慣れていきました。
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視力が悪くなる

40歳くらいのときに、だんだんと視力が悪くなって見えなくなってきました。白くぼやけるような感じになってきて、眼科で検査したところ、目に病気があると言われました。なかなか治らない病気で、だんだんと視力が落ちていくだろうと言われました。印刷の仕事は相変わらず忙しかったのですが、数字や文字がだんだんぼやけて、はっきり見えなくなってきたんですね。大きい文字はよいのですが、小さい文字が見えにくくなってきて、眼鏡をかけてもだんだん見にくくなっていきました。結局、47歳のときに会社を辞めました。
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触手話との出会い

会社を辞めてから市役所に行ったら、「石川盲ろう者友の会設立準備会というものがある」と教えてくれました。行ってみました。そこで、交流をしたり、ローマ字指文字をしたり、いろいろな方法でコミュニケーションをしている様子を見て驚きました。 
その後、全国盲ろう者大会に出ました。講演する人と手話通訳者が遠くにいました。私は触手話を受けていました。遠くにいる手話通訳者の手話が少し見えていましたが、その手話通訳者の手話と触手話が同じなんだ、触手話でちゃんと話が伝わるんだということが、自分ではっきりと感じることができました。
触手話にもだんだんと慣れていって、世界が広がったという感じがしました。それ以前は、本当に見えなくなったという苦しい気持ち、悶々とした気持ちでいましたけれども。大会が終わって、それぞれの地元に帰っていきました。私も地元の盲ろう者友の会で熱心に頑張って活動していこうという気持ちになっていました。
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点字も習得

講師の宮永さん

私は、点字は全く知りませんでした。指で読むということもできなかったんです。60歳のときに点字はとても無理だと思ったのですけれども、ブレイルセンス(註)をやってみようと思って、65歳になってから少しずつ点字の練習を始めました。最初は「あいうえお」を覚えることから始めて、五十音を点字で打つことを覚えて、そして数字を覚えて、またアルファベットも点字で全部覚えました。一生懸命練習して、だんだんと点字を読めるようになってきました。

今はブレイルセンスを使っています。ブレイルセンスでメールのやりとりをしたり、ホームページを見たりしています。私は紙に打たれた点字はなかなか読み取れません。ブレイルセンスの点字は、硬くてはっきりしていて読み取ることができます。

(編集部註)
ブレイルセンスは、点字キーボードと点字ディスプレイを備えた携帯情報端末。インターネットへ接続することもできる。

これからも

私も今後だんだん年をとっていきますが、元気で長生きして、通訳・介助員に協力してもらいながら、支援してもらいながら、いろいろな活動をともに進めて歩んでいきたいと思います。
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質疑応答

(富山盲ろう者友の会会員)
手話が堪能な人も、触手話はなかなか難しい、受け取る側も発信する側も難しい、という気持ちがあるんですが、宮永さんが触手話を学ぶときに苦労したこととか、触手話を学ぶときのコツみたいなものがあったら教えてください。

(宮永)
私は元々、手話を身につけていましたので、触手話は割とスムースに理解することができました。あまり苦労というものはありませんでした。通じないときもありましたが、そのときは手書きで確認をしたりしました。通じない場合は、そこで聞いて、教えてもらうことの繰り返しかな、と思います。

(石川盲ろう者友の会会員)
石川には触手話サークルというものがありませんが、盲ろう者が参加する集いには、必ず触手話の通訳が必要です。手話通訳者の手話を、見たそのままに触手話で盲ろう者に伝えます。このシャドーイングが、結構、触手話の勉強になるかなと思います。

(富山の会員)
手話と触手話は同じようにやればいいんでしょうか。手話はわかるのですが、触手話となるとまだまだ難しいのですが・・・

(宮永)
手話も触手話も同じです。速いと、最初ちょっとわからないかもしれませんが、通じないときは、「もう1回やって」と言って、ゆっくり表してもらったりすれば、少しずつわかるようになっていきます。慣れてきますよ。
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体験

講演のあとは、触手話の体験をしました。ふだん触手話をしたことがない富山の会員も、宮永さんと触手話で会話をしました。
宮永さんは次のようなポイントを指摘されました。

宮永さんと触手話体験

▽盲ろう者と通訳者はちょうど良い距離で。体が離れすぎると腕が疲れる。
▽机に肘をついたほうが楽、という人もいる。
▽通訳するときは、必ず名前を言ってから。
▽触手話でわかりにくいときには、手のひらに文字を書いてもらうので、盲ろう者の手を傷つけないよう、通訳者の爪は短く切っておく。
▽盲ろう者の場合、匂いに敏感な方もいるので、強い香水を使わないように。
▽数字は手話で表すよりも、手のひらに書いた方が通じやすい。同様に、指文字よりも手のひらに書いたほうがわかりやすいときがある。
▽通訳者の体に触れる手話(<わかった>など)は、体から離して表現。盲ろう者の手が通訳者の体に触れることを避ける。

参加者の記念写真

これからも、石川の友の会のみなさんから、いろいろと学ばせていただきたいと思っています。
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活動報告

盲ろう者国際協力人材育成研修

2021年7月31日と8月7日の二日間、全国盲ろう者協会は、オンラインで「盲ろう者国際協力人材育成研修」を実施しました。富山からは九曜会長が参加しました。10月2日の定例会で九曜会長がその内容を報告しました。

「研修会は、世界盲ろう者連盟の元事務局長、福田 暁子(ふくだ あきこ)さんの呼びかけで開催され、全国から10人が参加しました。
研修では、海外の盲ろう者の話を聞きました。韓国の盲ろう者は「障害の分類の中に『盲ろう』はありません。紫は赤と青が混合した色ですが、混合色と呼ぶ人はいません。紫と呼びます。盲ろうという障害は、視覚障害と聴覚障害の混合と見られがちですが、独自のアイデンティティーを持つということを社会に知らせる必要があります」と語りました。
また、シンガポールの盲ろう者は、2013年に第15回ダスキンリーダーシップ研修生として日本に来て、盲ろう者の福祉やコミュニティーについて学んだそうです。「シンガポールでは盲ろう者のコミュニティーは確立されていません。盲ろう者のための団体もありません。日本は盲ろう者の団体があるので参考になりました」と語りました。
国際協力という視点では「盲ろう者から盲ろう者へのエンパワー(註)が必要」ということが強調されました。当事者が当事者に会って話をすることが大切です。同じ困難を抱えていることを共有することで繋がりができ、それがエンパワーメントになって世界を動かすことにつながる、ということでした」。

(編集部註)
「エンパワー」とは、その人が本来持っている力を発揮することができるようにすること、そのためにサポートや働きかけ行うことを言います。
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富山県民ボランティア・NPOフェスティバル

10月16日(土)、富山市のグランドプラザで「富山県民ボランティア・NPOフェスティバル」が開かれました。富山盲ろう者友の会も参加しました。

ポスター展示を見る人

2021年も2020年に続き、コロナ禍での開催です。人の流れが滞らないようにということで、団体の会員が待機しての説明ブースは設けられず、ポスター展示が中心となりました。友の会では、今年新しく作ったポスターを貼り出しました。参加団体や人出が例年よりも少なかったのが残念でした。

会場の大スクリーン

今回は、会場に設けられた大画面テレビで、各団体のPR動画が披露されました。友の会でも動画を作りました。写真はその一場面。友の会の九曜会長が伴走者とともにジョギングをしている様子です。九曜会長は、去年のオリンピックで聖火ランナーを務めました。
今年は例年のようににぎわう大会になりますように!

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通訳・介助員養成講習会

2021年10月から12月まで、「盲ろう者向け通訳・介助員養成講習会」前期日程が開かれました。富山県の事業を富山県聴覚障害者協会が受託して実施、富山盲ろう者友の会が、講師派遣の協力を行っています。

講師が点字について説明

11月28日は5回目。点字の初歩を学びました。九曜会長と会員の二人の講師が、点字が6つの点で構成されること、母音と子音の組み合わせであることを説明していきました。点字は初めてという人がほとんどで、一生懸命、メモを取っていました。
  通訳・介助員養成講習会は2年間です。来年、2年目の講習会を終了してから、受講生のみなさんは通訳・介助員の資格を得ることになります。
あらたな受講生の募集は2023年の春に行われる予定です。
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こんな本読みました

(編集部)
「かけはし」では、盲ろう、聴覚障害、視覚障害に関する本を会員のみなさんにご紹介いただいています。こんな本を紹介したい、というご希望があれば、編集部までお知らせください(tomonokai@toyamadb.com)。

『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』

川内 有緒(かわうち ありお)著  集英社インターナショナル、2021年

井筒屋 勝己

視覚障害のある人がアートを楽しむ、というとき、まずは立体造形を触ることを思い浮かべます。実際、ギャラリーTOM(東京都渋谷区)、六甲山の上美術館さわるみゅーじあむ(神戸市)、国立民族学博物館(大阪府吹田市)など、触れる常設展示を行っているところもあります。それに対して、この本のテーマは、「みんなで見て語り合うと、「絵」の鑑賞がさらにおもしろい」ということ。「絵」の「対話型鑑賞」とも言うらしいです。

取り上げた本の表紙

白鳥 建二(しらとり けんじ)さん(51歳)は全盲。完全に視力を失ったのは10歳のころですが、小さい頃からほとんど見えていなかった、色も概念的に理解しているだけだったそうです。その白鳥さんが絵について聞きたいと思っているのは、絵の専門的な知識ではなく、絵を見た人の率直な印象なんだそうです。
考えてみれば、絵を見て感じることは本当に人それぞれですよね。たとえば(この本には書かれていない例ですが)、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の表情は、優しいほほえみ、という人もいれば、けっこうこわい、という人もいます。優しいと感じた人も、じっと見ているとこわくなったり、その逆もあります。そんな、絵を見た率直な感想を聞くことが、白鳥さんにとっては楽しいらしいのです。「どうやら彼は、作品に関する正しい知識やオフィシャルな解説は求めておらず、「目の前にあるもの」という限られた情報の中で行われる筋書きのない会話にこそ興味があるようだった」(本書から引用)。
そして絵を説明する側も、どう説明しようか考えながら見たり、白鳥さんの質問に答えたりする中で、一人で絵を見るときには気づかなかったことが見えてくる、あらたな発見がある、と著者は言います。「目が見えない人が傍にいることで私たちの目の解像度が上がり、たくさんの話をしていた」(本書から引用)。 
「みんなで見て語り合うと、「絵」の鑑賞がさらにおもしろい」---友の会でも、試しに実践してみると良いかもしれません。通訳・介助をするときに必要な「描写力」も鍛えられたりして。
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