盲ろう者とは目と耳両方に障害のある人のことをいいます。
富山盲ろう者友の会では、盲ろう者とその支援者の交流・支援活動を行っています。

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かけはし32

本文開始

かけはし32

(2023年3月発行)

目次

会長挨拶

九曜 弘次郎(全盲難聴)

九曜会長

全国盲ろう者協会は、夏の全国盲ろう者大会を今年も中止すると発表しました。政府は、3月13日からマスクの着用を個人の判断に任せることにし、また、5月からは新型コロナウイルス感染症の感染法上の位置づけを、季節性インフルエンザと同じ5類に移行することにしています。しかし盲ろう者の場合、コミュニケーションをとるには密集や密接が避けられず、全国から大勢の盲ろう者や通訳・介助員が集まることにはリスクが大きいこと、また万が一盲ろう者がコロナに感染し入院することになった場合、通訳・介助などの支援を受けることが困難になることなどが理由です。
一方、各地の友の会では、感染に注意しながら交流活動を再開しつつあります。盲ろう者が外出の機会を得るには友の会の交流活動が欠かせません。当会も、少しずつお出かけなどの活動を再開していけたらと思っています。

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高齢視覚障害者の生活と支援

(編集部)
2/25(土)の例会では、「高齢視覚障害者の生活と支援」をテーマに講演していただきました。
講師は富山県視覚障害者協会理事の濱野 昌幸(はまの まさゆき)さんです。後半では、実際に同行援護やデイサービスを利用しているお母様にもお話を伺いました。
その内容を編集部で要約したものを掲載します(一部、濱野さんの了承を得て、話の順序を変えています)。

講師の濱野さん

(濱野)
こんにちは。濱野です。私自身も視覚障害を持っていまして、弱視です。かなり見えない方の弱視です。

視覚障害者が生活する上での問題は、視力により障害歴によりライフスタイルによっても人それぞれです。その事も踏まえて、高齢視覚障害者に対象を絞った上で、生活と支援について考察していきたいと思っています。

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視覚障害者が高齢になると

体が動かない

誰でも年を取ったら足腰が弱くなりますね。では、目が悪い人が足腰が弱くなるとどうなるか。
私達は手で触って、どこに何があるかを確認します。いろいろなものを確認するにしても、なにかをするにしても動かなきゃいけないのに、年をとると動くのが困難になる。とりわけ一人暮らしの場合、何もかも自分で確認しなければいけないので、これはなかなか大変な問題です。

記憶力が衰える

年を取ったら、多少なりとも頭がぼんやりしてきますよね。僕は今47歳ですけれども、それでも20代の頃に比べるといささかぼんやりしてきた気がします。高齢になると記憶力がさらに低下し、認知症を発症する人もいます。視覚ではなく記憶に頼って生きている私達としては、これは大問題です。
例えば、ここにお茶のペットボトルがありますね。ペットボトルがここに置いてあることを、私は目で認識しているのではなく、ここに置いたはずという記憶で覚えている。これを忘れてしまったら、どうなるでしょう。動いた拍子にペットボトルをひっくり返すかもしれませんね。
皆さん、家の壁などにカレンダーが貼ってあったりしていませんか。冷蔵庫のドアに、ゴミを出す日とか貼ってあったりしませんか。誰かご家族の方からの、今日遅くなるよというメモが冷蔵庫に貼ってあったりしませんか。全く僕たちにはできません。全部頭で覚えておかなきゃいけない。それから、屋内構造とか道順も覚えないと歩けない。80歳、90歳になって記憶力が衰えたらどうなるだろうか、想像できますよね。

技術革新についていけなくなる

いまどきの若い視覚障害者はハイテクですよ。パソコンやスマートフォンを使いこなして、なるべく一般の人と同じことができるようにしよう、置いていかれないようにしようと、一生懸命やっています。
でも、同じことを80歳90歳の人に求められますか。無理だと思います。情報や世の中の技術からどんどん置いていかれるようになると、わからないことは拒絶。「あなた、こういういい方法があるんだよ」と教えられても、全部拒絶するようになります。さらに情報不足になっていっちゃいますよね。

他者とのかかわりが困難に

そして、最大の問題は、他者とのかかわりがうまくいかない、ということです。

<視覚障害を知らない人の中で>

視覚障害者が高齢になって、デイサービスに通うとします。まわりは晴眼の高齢者ばかりです。「あなたのとなりの方には視覚障害があります。仲良くしてね」と言っただけで、うまくいくでしょうか。
たとえば、視覚障害のある人に対して隣のおじいさんが「お茶があるよ」と言うだけだったら、「私、お茶どこにあるかも見えんし、失敗してこぼしてしまったら恥ずかしい」ということになる。「隣のじいちゃんが優しくないから、あの人のせいで私がお茶をこぼすはめになった。だからデイサービスに行きたくない」となるかもしれない。逆に、ペットボトルとコップの位置さえ教えてくれれば自分でついで飲めるのに、わざわざコップをもって口にお茶を入れてあげようとされたら嫌ですよね。

<自分から動けない>

また、視覚障害のある人が、車いすの方と仲良くお話をしたいと思っても、近くにいなかったら話せません。どこかにいるんじゃないかと思うんだけれど、どこにいるかわからない。そこに歩いて行くこともできない。仲のいい友達同士で仲良くやっていきましょう、と言われても、視覚障害者には難しいんです。

<福祉施設の限界>

福祉施設は、お風呂や食事、そして安全を保障してくれます。でも、それ以上は保障してくれない。たとえば、集団の一員として認めてもらうことや、楽しく自分らしく生きることまでは保障してくれないのが現実です。

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利用者の体験

ここで、デイサービスを利用している私の母親を紹介します。Kさん、84歳。視覚障害歴イコール年齢です。目の前で手をひらひらさせたらわかるよ、というくらいの視力です。かなり古い家で一人暮らしをしています。同行援護さんを月10時間、デイサービスを週2回、使っています。

濱野さんとKさん

濱野:Kさんはデイサービスに行ってるけど、「見えんから、建物こんなんじゃ困る」というのはある?
    
K:私が立ち上がると職員が走ってきて「どこへ行くの?転んでもろうたら、私らクビになる」と叱られるんです。そのために、ずっと一日椅子から離れることができんし、時たま監獄に入っているような気もするし。

濱野:Kさんは、建物とか便所の形とか、それほど不満はないんだよね。目の悪いKさんでもそれなりに使える建物にはなっている。ハード面に問題はないと。

K:そう言っとって、自分でできることは自分でしてね、などと都合のいいことを言う。

濱野:職員としては、立ってトイレに歩いていくKさんが、誰かがぽいっと置いた杖につまずくかもしれないし、誰かの車椅子の端っこに引っかかるかもしれない。今だけある障害物は、あなたはわからないよね。それで、ひとりで歩いては駄目だと言っているわけ。一方、お風呂で着替えを目の前に並べてあげたら、手で触れば着替えられるから、何でも自分でやってねと言われるわけです。

K:一年間、職員からいじめられました。

濱野:目が見えないから、いろんなことができなかったり、もたもたしちゃったりという、身体的特徴をいじられちゃうわけですね。腹立つよね。ケアマネージャーや現場の責任者に家に来てもらって話をして、最終的にその職員は退職したらしいんだけど、それで、デイサービスが楽しくなったかというと、そうでもないんだよね。

友の会会員:Kさんは、周りのみんなが楽しんでいるのに、見えないから何だかよくわからないってことがありますか?

K:あります。そういうときは、寝たふりしています。仕方ないです。それでなかったら、ご飯食べたり、ゴミを入れる箱を作ったり、タオルたたんだりしています。

会場の様子

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必要な支援とは

(濱野)
同行援護

<時には柔軟なサービスを>

同行援護サービスを利用する人そのものに、高齢者が多い。8割、9割が高齢者じゃないですかね.。そうなると、足腰が弱い。
同行援護というサービスは、目の代わりになるサービスです。たとえば富山駅からタクシーに乗ろうと思って、タクシー乗り場はどこにあるのかを知ってなきゃいけないのは視覚障害者の役割です。ただ、そんなこと言っていたら、タクシー乗り場を探しているうちに、足腰の弱いお年寄りはころんでしまうかもしれない。時には同行援護さんが案内する、ということも必要になります。

では、同行援護さんが利用者さんの荷物を持つことはどうでしょう。スーパーに行って買い物を一緒にしました。いっぱい買ったので、同行援護さんも荷物を持ちます。これは間違っています。利用者の荷物は利用者が持つべきです。
ただね、そうは言っても足腰が弱くなっている利用者ですから、手を貸してくださる同行援護さんが実際はいると思います。頼りすぎないように、頼られすぎないように、お互いが気をつけるのがいいのかなと思います。

デイサービス

<職員の介入が必要>

「他者とのかかわり」ということで話をしたように、視覚障害を持ったお年寄りが一般のお年寄りと仲良く同席して一日いるのは、なかなか難しいんです。お風呂に入らなきゃいけないから仕方なくデイサービスに行く、というのはあると思うけれども、あそこが楽しいから行きたくてどうにもならない、という方はなかなかいないと思います。

僕はデイサービスで、リハビリ、理学療法士として働いています。職員である僕が言うのもどうかと思うんですが、そこは、デイサービスの職員が利用者間のコミュニケーションに介入して、どうにか、他のお友達を作るようなことをしてあげたり、職員自身がお友達になってあげる。あるいは、お友達のふりをしてあげるだけでもいいですけれども、そういうふうにしていかないと、視覚障害を持ったお年寄りの欲求は満たされないんじゃないかというふうに思います。

<介護保険制度の問題>

ただし、そのためには、介護保険制度の見直しが必要です。
介護施設が受け取る介護報酬は、介護度の重い人ほど高くなっています。一方、動ける視覚障害者は介護認定で軽く判定されます。トイレに行きたくなったら、場所を覚えているトイレなら、ひとりで行けるような視覚障害者だと、介護度はすごく軽いんですよね。デイサービスにしてみたら、それほどお金にならない割に、見えないから、新しいことをしようとしたら誰か介助の職員をつけなきゃいけない。あるいは、隣の人と仲良くしてもらおうと思ったら、障害のことを隣の人にわかるように話さなければいけない。場面によっては専属の職員をつけなきゃいけない。そんな余裕はデイサービスにありません。
介護報酬のところから見直さないと、視覚障害者はデイサービスで楽しく過ごせないと思います。

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まとめ

最後に、まとめの話です。
高齢視覚障害者の問題は多岐にわたりますが、他者との関わりが最大の問題ではないでしょうか。心に傷を負うおそれがあって、それがすごく大変だろうと思う。
視覚障害者の心を守るのは、サポートする人の心の使い方次第ではないかというふうに思います。同行援護さんというサービスでは、ある程度、心を使ってくださっていると思いますが、デイサービスでは、職員自体が時間的に追っかけられていて、心を使えない状態にあるんだろうなということを思います。ただその中でも、何とか高齢視覚障害者の気持ちを拾っていただきたい、というふうに思います。

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活動報告

富山県民ボランティア・NPO大会に参加

2022年10月15日、富山市総曲輪グランドプラザで、第34回富山県民ボランティア・NPO大会が開かれました。

友の会のパネルと見る人

富山盲ろう者友の会もブースを設け、活動報告をするとともに、盲ろう者への理解と支援を呼びかけました。
毎年、参加している団体も多く、1年ぶりの再会に話も弾みました。

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防災について考える

2022年10月23日と29日の2日間、全国盲ろう者協会は、オンライン形式で、防災をテーマにしたニューリーダー育成研修を開催しました。富山からは、九曜会長が参加しました。

パソコンに向かう九曜会長

研修では、日本視覚障害者団体連合の三宅 隆さんが、

▽地震のあとは家の中がどうなっているか視覚障害者にはわからない。けがをしないように、軍手と靴を枕元に置いている。
▽自分でできないことは近所の人に助けてもらう必要がある。
▽地域の視覚障害者協会が地域の総合防災訓練に参加したり、防災セミナーを開いて障害者はどういう支援を必要としているか説明したりしている。

など、個人でできる防災、団体でできる防災について、講演しました。

 富山盲ろう者友の会では、11月26日の例会で、九曜会長が研修内容について報告し、富山で防災をどう進めていくか話し合いました。

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富山駅123年展を見る

2022年10月30日は指点字サークルの日でした。この日はいつもと趣向を変えて、富山市郷土博物館で開かれていた「富山駅123年展」を見にいきました。

展示を見る会員

富山駅が開業したのは1899年。敦賀から延伸してきた北陸線が富山に到達したそうです。「これによって、富山は米原経由で関西、関東と鉄路で結ばれることとなり、人や物の流れが大きく変わる契機となったのです」(富山市郷土博物館のサイト)。以来、100年にわたって、富山駅や富山市内の交通網がどうかわってきたかを示す展示でした。

昔の富山駅の錦絵

会場には、昔の富山駅の絵や地図、駅弁の包み紙、交通路線図など興味深いものが展示されていました。そのひとつひとつを、支援者が盲ろう会員にことばで伝えました。

11月からは再びコロナの感染が広がってきて、友の会の活動も休止を余儀なくされました。2023年2月から、ようやく活動を再開しました。今後は、以前のように活動が続けられることを願っています。

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